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葵祭 コース [葵祭 コース]

京都三大祭の一つ、トップをきって葵祭が15日に行われ、御所を出発し、

下鴨神社・上賀茂神社へ新緑の都大路を平安絵巻さながらの行列がねり歩きします。



京都最古の祭で、行列のすべてに葵の葉が飾られている。




なんといっても主役は斎王代です。毎年京都にかかわりのある一般女性から選ばれる。


はたして今年の斎王代は?


















儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、

現在は路頭の儀と社頭の儀がおこなわれています。


この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、

内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり

、京都御所を出発。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、

遠く東山や北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ向かいます。

その道のりは約8キロにもおよぶそうです。


社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、

勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納。


さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納。
 



賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われ、

古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、

単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名。



この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、

わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということ。


賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、

当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、

すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされています。


 
祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇の567年、

国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、

伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、

若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、

人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、

五穀は豊かに実って国民も安泰になったというお話。
 


また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、

最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという、国家的行事になりました。


なお、応仁の乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、

1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、

中断や行列の中止があり、しかし王朝の伝統は忠実に守られてきたそうです。

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